下記の内容は、2022年6月23日(木) にオイシックス・ラ・大地株式会社の社内勉強会で夏所長が「紹興の米づくりと酒づくり」 をテーマに行った講演の内容を、元長野県立農業大学校教授の吉田太郎先生がまとめてくださったものです。
*浙江省で育まれた晴耕雨読の文化
浙江省では、インディカ米、ジャポニカ米、もち米が栽培されている。そして、その裏作として、小麦、菜の花、レンゲが栽培されてきた。中国水稲研究所は紹興の隣町である杭州市に設置されている。
四季の営みでいえば、春に耕し、夏に生えて、秋に収穫し、冬に醸す。そして、酒甕、醤甕、藍染め甕の文化もあって。そこで、これを夏場は醤油づくり、冬場は紹興酒づくりということで、「夏醸醤油、冬醸黄酒」と称した。
*米づくりと酒づくりを核とした耕畜連携の循環型農業
こうした稲作と酒づくりを中心に耕畜連携型の循環型農業も成立していた。
畜産としては、鶏、鴨、豚、羊、水牛がいて、養蚕、養魚(越王勾践[こうせん]の時代から)あった。夏氏はこの現代版を作りたいと言う。
また、紹興料理を食文化の面からみると見事に発酵文化となっていることがわかる。紹興酒をふんだんにつかった東坡肉、発酵食品としては魚干、臭豆腐、黴(カビ)豆腐、醤鶏、糟(カス)鶏がある。
*稲作の起源は中国の越?
さて、ここで稲作の起源について考えてみよう。稲作の起源地としては、長江の中・下流域と雲南・アッサムの2地域の2仮説があり、日本には短粒のジャポニカが伝播しているが、この経路もA朝鮮半島を経たもの、B長江付近から海路を経たもの、C中国南方からの3説があり、AとBのルートが有力視されている。
中国では、1万2000年前の米が見つかっている。日本に伝わったのは弥生時代である。江蘇省と浙江省には呉と越があった。安田喜憲(1946年~)氏の『稲作漁撈文明―長江文明から弥生文化へ』(2009) NHKブックスによれば、4,000年前に北方から畑作牧畜民が入ってきたとしている。
ベトナムは中国語では「越南(エツナム)」と書くのだが、越の時代に紹興酒はすでによく飲まれていた。この時代の酒は、米麹で造れていたと思われる。食事は飯稲羹魚(米をごはんとし、魚をおかずとする)といわれた。今のモノは麦麹だが、これは北の文化である。そして、日本酒も紹興酒と製造方法が似ている。
浙江省では2000年に「上山文化」の遺跡が見つかっている。2021年11月には北京国家博物館でも特別展がなされたが、この上山文化の遺跡(9000年前)では、穀物、カビ、酵母が見つかっている。紹興酒の始まりとみられ、9000年の歴史といわれるようになった。ここから、総合稲作文明学が新たに構築されることが期待されている。
*紹興酒のルーツは夏王朝時代の禹王にまでさかのぼる
次に紹興酒に代表される黄酒の歴史を見てみよう。いわゆる中国文明は黄河文明だが、紹興酒は長江文明に属する。そして、ビールは5,000年、ワインは7,000年、だとすると麹が9000年以上前と一番古い。
紀元前5000年~4500年に栄えた河姆渡(かぼと)文化と紀元前3500年~2200年に栄えた良渚(りょうしょ)文化に相当するが、中国における最初の夏王朝の創始者は治水の神、禹王とされる。
禹に関する最古の記述は『書経』中の「禹貢」と「大禹謨」である。禹の事績が記される『書経』の古名は『尚書』と言うが、この中にでてくる「地平天成」は、平成の由来にもなった。日本でも禹王ゆかりの遺跡が2022年時点165ヵ所にものぼる。以上のことから、禹は日本とも縁がある。
さて、中国には「おいしい酒」のことを「儀狄之酒(ぎてきのさけ)」と称するが、この儀狄が中国の酒の始祖とされる。夏王朝のときに酒を発明したのだが、彼女が作った酒を禹王に献上したところ、これを一口味わった禹王は「後世この美味にして陶然とさせる飲み物によって国を滅ぼすものがでるであろう」と称したという[戦国策]。果たせるかな、禹王の末裔である桀(けつ)王は、連夜の酒池肉林の末に夏王朝を滅亡させた。
禹王の子孫で、三国志にも登場する杜康(とこう)が「余ったかゆを桑の木の小屋に捨てていたところ、いつしか良い香りがして、なめてみると甘くおいしいことから酒造りの秘法を得た」との記録がある。そこで、中国の酒造業者は杜康を酒造りの開祖として敬っている。
*臥薪嘗胆が生んだ紹興酒
禹王に次いで酒で重要なのは、越王勾践(こうせん、紀元前496年~前465年)である。いまから約2,400年前。越国と呉国は互いの覇権を争っていた。呉王の夫差(ふさ、?~紀元前473年)は計略によって父を殺されことから、薪の上に寝て復讐の日を誓う。立ち直った呉は越に攻め込み、越を滅亡寸前まで追い込む。かろうじて処刑を免れた越王勾践は、夫差の召使へと身を落としながらも7年ものあいだ日夜、苦い鹿の肝を嘗めて「 (紹興)の恥を忘れるな」と誓った。
人口増加奨励策を講じたのが、この勾践に使えた名将「范蠡」である。「生丈夫、二壷酒、一犬;生女子、二壷酒、一豚」と、酒と犬、豚の出産奨励策を打ち出した。范蠡は天才的な軍事家だったが、越が呉に勝利した後は引退して農業に従事する。当時の酒はどぶろくであったが、彼の著作『養魚経』は世界最古の養殖専門書とされている。
*詩人から愛された紹興酒
まず353年に書聖、王義之(303~361年)は41名の名士とともに「曲水の宴」を催し、ほろ酔い気分で天下一の行書とされる代表作『蘭亭序』を書きあげた。その後、何度書き直してもこれを超える作品はないとの逸話がのこされている。なお、「曲水の宴」は日本でも10カ所以上で行われている。
また、田園詩人として知られる陶淵明(365~427年)も酒を愛した。その時代の紹興酒は「山陰甜酒」と呼ばれていた。
酒を愛した詩人としては李白(701~762年)も有名である。酒をなによりも愛すること。または、親友を心を込めてもてなすことを「金亀換酒」というのだが、賀知章(がちしょう659~744年)は、杜甫の詩『飲中八仙歌』で八仙の筆頭にあげられているが、当時、42歳でまだ無名であった李白に驚き、亀の形をしている金の装飾品、金亀を売って酒を買い、李白をもてなしたという故事がある。この賀知章が83歳で皇帝に推薦したことで李白は知られるようになるのである。賀知章はその後故郷の紹興に隠退した。李白が恩師を探しに行った時はすでに亡くなっていた。86歳だった。紹興出身の南宋の詩人、陸游(1125~1210年)も86歳まで長生きした。
*北の麦作と南の稲作の融合
この宋の時代に、稲作の長江と麦作の黄河文明が融合し、紹興酒の製法も誕生する。宋の時代、1117年「北山酒経」は醸造技術の集大成である。ここで、日本酒と紹興酒との比較をしておきたい。
日本酒はうるち米を原料に精白度合いは70%以下、麹には蒸したうるち米を使い、うるち米を米麹、黄麹菌(Aspergillus oryzae)で糖化させながら発酵させる。つまり、並行複発酵である。紹興酒も並行複発酵であることは同じだが、原料はもち米で精白度合いは90%程度。酒薬、生の麦にカビを生やした麦麹、もち麹で、もち米のデンプンを糖化させながら発酵させる。麹菌はクモノスカビ(Rhizopus)やケカビ(Mucor)である。
南宋は文化が絶好調の時代で、料理も発展した。例えば、東坡肉が誕生した。紹興酒が生産されていたことから、原料として米の栽培面積の6割はもち米で、価格もうるち米の2倍もしていた。紹興酒をもち米で作るのは、味がこってりしていてしっかりしているからである。そして、明清の時代には最盛期で全国に知れ渡る。魯迅(1881~1936年)も紹興酒には協力的で、魯迅自身も紹興酒が好きでそら豆をつまみに、ちびちびとじっくり味わっていた。
周恩来(1898~1976年)も酒豪だったが、建国10周年にあたる1959年には「釣魚台国賓館」を肝いりで開設し、10周年を祝う宴会では紹興酒の最初の乾杯に使われた。そのために、1952年から新しく倉庫を作らせた。1988年には古越龍山が国賓接待酒となった。
中国の紹興酒づくりは戦後廃墟からの再出発だった。1951年創業の古越龍山が国有企業であり、その後、政府が応援し何社か統廃合した。古越龍山のものは、中国最大で12000haが契約農場。中央倉庫では1100万本以上の原酒を寝かしている。あまりにも大量にあるため、入れ替え作業が大変で、ロボットの活用もすすめられている。
*鑑湖名水と医食同源、そして、微生物
酒造りには良質な水が欠かせない。140年に鑑湖が造成される。よく氾濫していたが、非常にいい水であった。清澄で豊富なミネラルが含まれるうえ、適切な硬度があることから醸造に向いていた。この水なくして優れた本物の紹興酒は作れない。日本で紹興酒というとザラメを入れたものが有名だが、これは、戦前の旧満州や戦後の台湾で造られた紹興酒が、水が適していないために酸味が強く、ちょっと飲みにくかったからと言われる。
では、なぜ鑑湖が名水であったのかというと、地下に泥炭があるので浄化させているからである。一時は汚れてきたが、ここ数年だいぶ良くなってきている。この湖の環境保護が大事だと思っている。
前漢の歴史記録書『漢書』によれば「酒は天下の美禄、百薬の長」との言葉がある。これが「医食同源」の原点とされる。お屠蘇は、三国志にも出てくる有名な医者「華佗」(かだ)が開発し、遣唐使の時代に日本に由来したもので、悪鬼を屠り、魂を蘇生させるという意味がある。すでに、中国本土では失われてしまっている。悲しいことながら、過去の文化が徹底的に批判される中で失われた。
なお、紹興酒づくりに使われる酒薬は、2021年に一番古い工場で作られたものはすでに358代目となっているが、自然由来のクモノスカビ、ケカビ等の麹菌と酵母菌が糖化発酵材としての役割を担っている。そこには、麹菌だけでなく、多くの菌が関わっている。2800種類が検出されているが、実際にも数百種類は関係している。そこで科学的に見ても放線菌等の効果があるのではないかと京都大学の本庶先生は放線菌に関心を持っている。